はじめに:今の「日本」のカタチができた時代

こんにちは!このチャプターでは、日本が今のような「一つの国」としてまとまり、法律(憲法)に基づいて政治を行うようになるまでの歩みを学びます。
「歴史は暗記ばかりで苦手…」という人もいるかもしれませんが、大丈夫です!「バラバラだった日本が、どうやって一つにまとまったのか?」というドラマとして見ると、ぐっと理解しやすくなりますよ。

1. 世界の動きと「国民国家」

18世紀から19世紀にかけて、欧米では市民革命が起こり、王様ではなく国民が主役となる国づくりが進みました。このように、同じ言葉や文化、歴史を持つ人々が一つのまとまり(国民)として意識し、政治を行う国を国民国家と呼びます。

当時の日本は、江戸時代が終わろうとしていた時期。欧米の強い国々に対抗するためには、日本もバラバラな「藩」の集まりではなく、強力にまとまった国民国家になる必要があったのです。

【ポイント】
国民国家 = 「私たちは同じ国の国民だ!」という意識を持った人々がつくる国のこと。

2. 明治維新と日本の近代化

江戸幕府が終わり、新しく誕生した明治政府が進めた大きな改革を明治維新といいます。政府は、欧米に負けない国をつくるために、さまざまな仕組みを新しくしました。

国民を一つにするための工夫

それまでは「武士」や「百姓」といった身分の違いがありましたが、これらをなくして平等にし(四民平等)、全国で同じ教育を受けさせる学校教育をスタートさせました。こうして、「自分たちは日本人である」という意識を育てていったのです。

【豆知識】
学校教育が始まったころ、実は反対する人もいました。当時は子供も貴重な働き手だったので、「学校に行かせるなんて困る!」という声もあったそうです。今の私たちには当たり前の学校も、当時は大改革だったんですね。

3. 国の「形」を決める:領土と憲法

「国民国家」になるためには、どこからどこまでが自分の国なのかという領土をはっきりさせる必要がありました。

領土の画定

この時期、日本は周辺の国々と交渉し、国境を定めていきました。
北方領土の範囲が確認されました。
竹島尖閣諸島についても、国際的なルールに基づいて日本の領土として編入されました。
・また、琉球(現在の沖縄県)を正式に日本の県とするなど、今の日本の形がこの時に決まっていきました。

【よくある間違い】
「昔から今の日本の形だった」と思いがちですが、実はこの明治時代に、国際的な話し合いや手続きを経て、今の「地図上の日本」がはっきり決まったのです。

大日本帝国憲法の制定

近代的な国の仲間入りをするための最後のステップが、大日本帝国憲法の制定です。これは、アジアで初めての本格的な憲法でした。「王様や政府が好き勝手に政治をするのではなく、ルール(憲法)に従って政治をしよう」という立憲体制が整えられたのです。

【ポイント】
明治政府は、欧米の制度をただマネするだけでなく、日本の伝統も大切にしながら、当時の日本に合った憲法をつくり上げました。

4. まとめと現代へのつながり

この時代に日本が「国民国家」となり、「立憲体制」を整えたことで、日本は急速な近代化を成し遂げることができました。
しかし、世界を見渡せば、当時すべての国が「国民国家」だったわけではありません。帝国のような別の形の国家も存在していました。多様な国の形がある中で、日本がどの道を選んだのかを考えることが大切です。

【今回のまとめ:ここだけは押さえよう!】
1. 欧米の影響を受け、日本も一つのまとまった国民国家を目指した。
2. 明治維新によって、教育や身分の仕組みがガラリと変わった。
3. 領土の画定(北方領土、竹島、尖閣諸島など)により、今の日本の形ができた。
4. 大日本帝国憲法をつくり、ルールに基づいた政治(立憲体制)が始まった。

最初は難しく感じるかもしれませんが、今の日本の「ルール」や「地図」がこの時にできたんだ!と思うと、少し身近に感じられませんか?次は、この日本が世界とどう関わっていくのかを見ていきましょう!