金融資産の価格とリターンにおける統計分布
定量的手法(Quantitative Methods)の基礎となるモジュールへようこそ!金融市場は常に不確実性に満ちています。株式、債券、ファンドに投資する際、将来の価格やリターンを確実に予測することはできません。この不確実性を定量化するために、金融アナリストは統計分布(確率分布)を活用します。
確率や統計と聞くと、最初は難しく感じるかもしれませんが、大丈夫です!すべての概念を理解しやすい小さな要素に分解し、直感的な例えを用いながら、実践的な応用について段階的に解説していきます。CFA Level I のシラバスに基づき、本モジュールは以下の4つの柱を中心に構成されています。
• 平均、分散、共分散の無条件期待値
• 金融で用いられる主要な分布の主モーメント
• 条件付き期待値、条件付き分散、条件付き共分散
• ベイズ更新(新たな情報が得られた際の確率の更新)
関連モジュールの案内: これらのパラメータを用いたポートフォリオ構築の詳細は『金融ポートフォリオのリターンとリスク(The Return and Risk of a Financial Portfolio)』で、サンプリングや仮説検定は『推定と仮説検定(Estimation and Hypothesis Testing)』で詳しく学習します。
---1. 無条件期待値、分散、および共分散
無条件期待値(平均)
確率変数の無条件期待値(unconditional expected value)とは、新たな情報や条件付けとなる事象が観測される前の、起こり得るすべての結果をその発生確率で加重平均した値のことです。
授業の成績計算をイメージしてみてください。各課題に配点割合(確率)が設定されており、全体の成績は各スコアにその配点割合を掛けて足し合わせたものになりますよね。それと同じ考え方です。
数式で表すと、確率 \(P(X = x_i)\) を持つ \(n\) 個の起こり得る値 \(x_i\) をとる離散確率変数 \(X\) について、以下のようになります。
\(E(X) = \sum_{i=1}^{n} P(X = x_i) x_i\)
期待値の性質:
• 定数の期待値: 定数 \(c\) の期待値は、その定数そのものです:\(E(c) = c\)。
• スカラー倍: 確率変数を定数 \(c\) 倍した場合、期待値も \(c\) 倍になります:\(E(c X) = c E(X)\)。
• 加法性: 複数の確率変数の和の期待値は、それぞれの期待値の和に等しくなります:\(E(X + Y) = E(X) + E(Y)\)。これは、\(X\) と \(Y\) が互いに独立であるかどうかにかかわらず成立します!
無条件分散
期待値が分布の中心的な位置を示すのに対し、分散(variance)は結果がその平均の周りにどれだけ広く散らばっているかを表します。これは、期待値からの偏差の2乗の平均値を意味します。
\(\sigma^2(X) = Var(X) = E\left([X - E(X)]^2\right) = \sum_{i=1}^{n} P(X = x_i) [x_i - E(X)]^2\)
標準偏差(standard deviation) \(\sigma(X)\) は、分散の正の平方根です:\(\sigma(X) = \sqrt{Var(X)}\)。金融の世界では、標準偏差がトータルリスクやボラティリティを測定する主要な指標として使われます。
分散の性質:
• 定数の分散はゼロです:\(Var(c) = 0\)(定数は決して変動しないため)。
• 定数を加えても中心がシフトするだけで、散らばり度合いは変わりません:\(Var(X + c) = Var(X)\)。
• 確率変数を定数倍すると、分散はその定数の2乗倍になります:\(Var(c X) = c^2 Var(X)\)。
無条件共分散と相関
共分散(covariance)は、2つの確率変数がどの程度一緒に動くか(連動性)を測定する指標です。資産 \(X\) が自身の平均を上回るときに資産 \(Y\) も平均を上回る傾向がある場合、共分散はプラスになります。一方、一方が上昇するときにもう一方が下落する傾向がある場合、共分散はマイナスになります。
\(Cov(X, Y) = \sigma_{XY} = E\left([X - E(X)][Y - E(Y)]\right) = \sum_{i=1}^{n} P(x_i, y_i) [x_i - E(X)][y_i - E(Y)]\)
計算上便利なもう一つの公式は以下の通りです。
\(Cov(X, Y) = E(XY) - E(X)E(Y)\)
なお、ある変数とそれ自身の共分散は、単にその変数の分散となります:\(Cov(X, X) = Var(X)\)。
共分散は変数の測定単位に依存するため、それを標準化して比較しやすくしたものが相関係数(correlation coefficient)であり、\(\rho(X, Y)\) または \(Corr(X, Y)\) と表記されます。
\(\rho(X, Y) = \frac{Cov(X, Y)}{\sigma(X) \sigma(Y)}\)
相関係数は厳密に \(-1 \le \rho(X, Y) \le +1\) の範囲に収まります。\(+1\) は完全な正の線形連動、\(-1\) は完全な負(逆)の線形連動、そして \(0\) は線形関係が存在しないことを意味します。
重要ポイント: 期待値は確率で加重平均された中心的な結果であり、分散はその中心からのばらつきを表し、共分散は2つの資産間の線形連動の方向と強さを測定します。
---2. 金融における主要な確率分布の主モーメント
統計学において、モーメント(積率)は確率分布の形状を記述する指標です。最初の4つの中心モーメントは以下の通りです。
1. 1次モーメント(平均/位置): 期待値 \(E(X)\)。
2. 2次中心モーメント(分散/散らばり): \(\sigma^2\)。
3. 3次標準化モーメント(歪度 / Skewness): 非対称性の度合い。左右対称の分布の歪度は0です。正(右)に歪んだ分布は右側に長い裾を持ち、負(左)に歪んだ分布は左側に長い裾を持ちます。
4. 4次標準化モーメント(尖度 / Kurtosis): 分布の尖り具合と裾の厚さ(ファットテール度)。正規分布の尖度はちょうど3です。超過尖度(Excess kurtosis)は \(\text{Kurtosis} - 3\) と定義されます。超過尖度が0より大きい分布は急峻(ファットテール / leptokurtic)と呼ばれ、金融資産のリターンにおいて非常によく見られる特徴です。
A. 離散一様分布(Discrete Uniform Distribution)
等しい確率で発生する有限個の結果をとる確率変数は、離散一様分布に従います。公平な6面のサイコロを振る例が分かりやすく、各出目 \(x \in \{1, 2, 3, 4, 5, 6\}\) はそれぞれ確率 \(P(X = x) = \frac{1}{6}\) を持ちます。
B. 連続一様分布(Continuous Uniform Distribution)
連続確率変数が、ある連続した有界区間 \([a, b]\) において均等な確率密度を持つ分布です。確率密度関数は一定で、\(a \le x \le b\) において \(f(x) = \frac{1}{b - a}\) となります。
主モーメント:
• 平均: \(E(X) = \frac{a + b}{2}\)
• 分散: \(Var(X) = \frac{(b - a)^2}{12}\)
• 歪度: 0(中央値を中心として完全に左右対称です)。
C. 二項分布(Binomial Distribution)
二項分布は、結果が2つ(成功または失敗)しかなく、各試行における成功確率 \(p\) が一定である \(n\) 回の独立したベルヌーイ試行において、「成功」した回数 \(x\) をモデル化します。
\(n\) 回の試行の中でちょうど \(x\) 回の成功が観測される確率は、以下の式で求められます。
\(P(X = x) = \binom{n}{x} p^x (1 - p)^{n - x} = \frac{n!}{x!(n - x)!} p^x (1 - p)^{n - x}\)
主モーメント:
• 平均: \(E(X) = n p\)
• 分散: \(Var(X) = n p (1 - p)\)
• 標準偏差: \(\sigma = \sqrt{n p (1 - p)}\)
試験対策のヒント: 金融モデリングにおいて、離散的な時間ステップにわたる資産価格の上昇・下落をモデル化する「二項ツリーモデル」に広く応用されています。
D. 正規分布(Normal Distribution)
正規分布は、古典的金融理論の基礎をなす分布です。連続的で左右対称な釣鐘型の分布であり、平均 \(\mu\) と分散 \(\sigma^2\) というたった2つのパラメータによって完全に特定され、\(X \sim N(\mu, \sigma^2)\) と表記されます。
主な性質と主モーメント:
• 平均値、中央値、最頻値: すべて等しく \(\mu\) となります。
• 歪度: 0(完全に左右対称)。
• 尖度: 正確に3(したがって超過尖度は0)。
• 線形結合: 互いに独立な正規確率変数の線形結合もまた、正規分布に従います。
標準正規分布(\(Z\) 分布):
任意の正規変数 \(X \sim N(\mu, \sigma^2)\) は、以下の \(Z\) スコアを計算することで、平均0、標準偏差1の標準正規分布に変換(標準化)できます。
\(Z = \frac{X - \mu}{\sigma}\)
経験則(区間確率):
• 観測値の約 68% が \(\mu \pm 1\sigma\) の範囲に収まる
• 観測値の約 95% が \(\mu \pm 1.96\sigma\)(約 \(\pm 2\sigma\))の範囲に収まる
• 観測値の約 99% が \(\mu \pm 2.58\sigma\)(約 \(\pm 3\sigma\))の範囲に収まる
E. 対数正規分布(Lognormal Distribution)
確率変数 \(Y\) の自然対数 \(\ln(Y)\) が正規分布に従う場合、その変数 \(Y\) は対数正規分布に従います:\(\ln(Y) \sim N(\mu, \sigma^2)\)。
なぜ対数正規分布が資産価格のモデル化に不可欠なのか?
• 正規分布はマイナスの値も取り得ますが、一般的な金融資産(株式など)には有限責任(limited liability)があり、価格がゼロを下回ることはありません。
• 対数正規分布は下限がゼロ(\(Y > 0\))であるため、資産価格のモデル化に最適です。
• 連続複利リターンはマイナスになり得るため正規分布で近似されることが多いですが、その結果として形成される資産価格そのものは対数正規分布に従います。
• 歪度: 対数正規分布は正の歪度(右に歪んだ形状)を持ち、上側に長い裾が伸びています。これは、資産価格が下限ゼロによって制限される一方で、理論上上限なく上昇し得る性質を反映しています。
重要ポイント: 正規分布は超過尖度がゼロの左右対称な現象をモデル化します(主にリターンに適用)。対数正規分布はゼロで下限が画され、右に裾が長いため、資産価格そのもののモデル化に適しています。
---3. 条件付き期待値、条件付き分散、および条件付き共分散
金融の実務では、経済指標の発表、金利決定、企業決算など、常に新しい情報が飛び込んできます。新しい情報が入ると、将来への予測も変化しますよね。これを扱うのが条件付き(conditional)モーメントです。
条件付き期待値
別の事象や変数 \(S\) が発生したという条件の下での、確率変数 \(X\) の条件付き期待値は \(E(X \mid S)\) と表記されます。これは、条件付き確率を用いて \(X\) の加重平均をとることで計算されます。
期待値に関する全確率の法則(The Total Probability Rule):
事象の集合 \(S_1, S_2, \dots, S_k\) が互いに排他的かつ網羅的な経済状態(例:不況、通常、好況など)を構成している場合、無条件期待値は、各状態における条件付き期待値をその発生確率で加重平均したものになります。
\(E(X) = \sum_{j=1}^{k} P(S_j) E(X \mid S_j)\)
ステップ・バイ・ステップの計算例:
2つの経済シナリオのもとで、来期の銘柄Aのリターンを予測するとします。
• 状態1(好況): 発生確率 \(P(S_1) = 0.40\)、条件付き期待リターン \(E(R_A \mid S_1) = 20\%\)
• 状態2(不況): 発生確率 \(P(S_2) = 0.60\)、条件付き期待リターン \(E(R_A \mid S_2) = 5\%\)
全確率の法則を適用すると:
\(E(R_A) = (0.40)(20\%) + (0.60)(5\%) = 8\% + 3\% = 11\%\)
条件付き分散
条件付き分散 \(Var(X \mid S)\) は、事象 \(S\) が発生したという条件の下での \(X\) の不確実性やばらつきを測定します。
\(Var(X \mid S) = E\left([X - E(X \mid S)]^2 \mid S\right)\)
全体の無条件分散には、各状態の内部における期待条件付き分散と、各状態間の条件付き期待値のばらつきの両方が反映されます。
条件付き共分散
同様に、ある状態 \(S\) の下での2つの資産 \(X\) と \(Y\) の条件付き共分散は、その特定の状態において両者がどのように連動するかを測定します。
\(Cov(X, Y \mid S) = E\left([X - E(X \mid S)][Y - E(Y \mid S)] \mid S\right)\)
ご存知でしたか? 深刻な市場の混乱期(金融危機など)には、リスク資産間の条件付き共分散や相関が急上昇することがよくあります。投資家が最も分散効果を必要としているまさにその瞬間に、分散投資の恩恵が薄れてしまうことがあるのです!
重要ポイント: 無条件モーメントは事象が発生する前の全体的な期待値を反映し、条件付きモーメントは特定の状態や情報が判明した後に更新された期待値を反映します。
---4. ベイズ更新(Bayesian Updating)
ベイズの定理の考え方
投資分析とは、継続的な学習のプロセスです。最初は市場の状態や資産のパフォーマンスについて事前予測(信念)を持ち、新しいデータを観測するたびに、その予測をアップデートしていきます。ベイズの定理(Bayes' formula)は、確率を合理的に更新するための数学的なルールを提供します。
押さえておくべき重要用語:
• 事前確率 \(P(A)\): 新たな情報が観測される前の、事象 \(A\) の基準となる確率。
• 尤度(ゆうど)/条件付き確率 \(P(B \mid A)\): 事象 \(A\) が真である場合に、新たな証拠 \(B\) が観測される確率。
• 無条件確率 \(P(B)\): すべての起こり得る状態を通じて、証拠 \(B\) が観測される全体の確率。
• 事後確率 \(P(A \mid B)\): 証拠 \(B\) が発生したという情報に基づき、更新された事象 \(A\) の確率。
ベイズの公式
\(P(A \mid B) = \frac{P(B \mid A)}{P(B)} P(A)\)
全確率の法則を用い、分母の \(P(B)\) を互いに排他的な状態 \(A\) と \(A^C\)(\(A\) ではない状態)に展開すると、以下のようになります。
\(P(A \mid B) = \frac{P(B \mid A) P(A)}{P(B \mid A) P(A) + P(B \mid A^C) P(A^C)}\)
ベイズ計算の具体例(ステップ・バイ・ステップ)
シナリオ: ある株式リサーチ部門で、収益予測の精度を評価しています。
• アナリストは企業を「高成長企業」(\(H\))または「低成長企業」(\(L\))のいずれかに分類します。
• 過去の実績から、高成長を達成する企業は全体の \(30\%\) です:\(P(H) = 0.30\)、したがって \(P(L) = 0.70\) です。
• 先行指標となるシグナルを測定したところ、陽性シグナル(\(+\))が出ました。
- 実際に高成長企業である場合、このシグナルが陽性となる確率は \(P(+ \mid H) = 0.80\) です。
- 低成長企業である場合にも、誤って陽性となってしまう(偽陽性)確率が \(P(+ \mid L) = 0.20\) あります。
• 問い: 陽性シグナル(\(+\))が観測された場合、その企業が実際に高成長企業である更新後(事後)の確率 \(P(H \mid +)\) はいくらになるでしょうか?
ステップ 1:分子および分母を構成する結合確率を計算する:
• 高成長企業であり、かつシグナルが陽性となる確率:\(P(+ \mid H) P(H) = 0.80 \times 0.30 = 0.24\)
• 低成長企業であり、かつシグナルが陽性となる確率:\(P(+ \mid L) P(L) = 0.20 \times 0.70 = 0.14\)
ステップ 2:陽性シグナルが出る全体の無条件確率 \(P(+)\) を計算する:
\(P(+) = 0.24 + 0.14 = 0.38\)
ステップ 3:事後確率 \(P(H \mid +)\) を算出する:
\(P(H \mid +) = \frac{0.24}{0.38} \approx 0.6316 \text{ (約 } 63.16\%\text{)}\)
結果の解釈: ポジティブな先行指標が観測されたことで、当初 \(30\%\) だった高成長の事前確率は、事後確率として約 \(63.2\%\) まで大きく引き上げられました。
試験でやりがちなミスと注意点
• \(P(B \mid A)\) と \(P(A \mid B)\) の混同: 高成長であるときに陽性が出る確率(\(80\%\))と、陽性が出たときに高成長である確率(\(63.2\%\))はまったくの別物です!
• 分母の展開忘れ: 分母には、その条件となる事象が発生し得るすべてのルート(真陽性と偽陽性の両方)が含まれているかを必ず確認してください。
重要ポイント: ベイズの定理は、新たな実証データやシグナルが得られた際に、事前の予測を事後確率へと論理的・体系的にアップデートするための強力なフレームワークです。
---モジュールのまとめとおさらい
• 期待値 \(E(X)\): 起こり得るすべての結果を確率で加重平均した中心値。
• 分散 \(\sigma^2\) と共分散 \(\sigma_{XY}\): 分散は平均からの散らばり度合いを示し、共分散は2資産間の線形連動性を測定する。
• 正規分布: \(\mu\) と \(\sigma^2\) だけで完全に決定され、左右対称(歪度 = 0)、尖度 = 3。リターンのモデル化に適しているが、マイナスの値も含む。
• 対数正規分布: 下限がゼロで右に歪んだ(正の歪度)形状。資産価格そのもののモデル化に最適。
• 全確率の法則: 条件付き期待値を無条件期待値へと結びつける公式:\(E(X) = \sum P(S_j) E(X \mid S_j)\)。
• ベイズ更新: 条件付き尤度を活用し、事前確率 \(P(A)\) を事後確率 \(P(A \mid B)\) へと合理的に更新する手法。